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自然な雲が見せるアート!「雲の動物園」 → https://sites.google.com/site/cloudanimalzoo/

2011年11月27日日曜日

新宿デビュー日記。

エッセイ 第8話

『おまわりさん!!』
私は、必死で交番に駆け込みました。

『どうした!何があった!!』
でも、とてもその説明に困りました。

『いや。。。その。。。何も。。。』
そして、慌てて走り出しました。


田舎者です。本当に。。。

東京にに生まれ育ちましたが、町から殆ど出た事が有りませんでした。
幼稚園・小学校・中学・高校と、みな徒歩数分のご近所通学でした。

中学までの遊び場は、近所の植物園。親に連れられて行くのは、上野・
銀座のデパートくらい。それも近所のママ友達の付き合いのついでで、
母親のお供です。

高校でやっと池袋や銀座などの名画座やカメラメーカーなどのサービス
センター巡りを友達とする位でした。

それは、映画の二本立てや三本立てを梯子したり、オールナイト上映に
毎週行ったり、買えもしない、Leica-M4・SL-2を神田のシュミットで愛で
たり、NikonやCanonの特殊魚眼・超望遠などをSCの人と仲良くなって
触らせてもらったりしながら、カタログ収集に勤しんでおりました。

そして駿河台のアテネ・フランセ文化センターや、京橋のフィルムセンター
の映写会が一番の楽しみでした。

一人の時は、上野の科学博物館に通い、飽きもせず動物の剥製や化石を
見て回りました。

新宿に初めて行ったのは、ATGの映画を見に行った時でしたが、街はまるで
魑魅魍魎の棲家のようで、とても人界のようではないなと思いました。

二幸食品店前(今のアルタ前)の駅前では、昼からシンナーの袋を吸う亡者
達が集い、みな虚ろな目をしていました。

ヨドバシカメラは、今は西口を代表する販売店ですが、当時は、問屋風の
路地裏の小さな商店でしかありませんでした。

その奥には、夕日に輝き荒野に突き刺さった「モノリス」のような京王プラザが、
一人寂しくそびえていました。





 「花を撮り始める」
FinePix S1Pro Tokina28-70mm (70mm) f5.6 s1/99
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:1)花を撮る。私には無かった世界でした。たまたま花を専門に
撮りたいと言う女性に会い、その作品を見せて貰ったのですが、何か艶が
足りないなと思い、私ならどう撮るかなと試したのが始まりでした。

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まさかその私が、後にその新宿近辺の大学に通うとは思ってもいませんでした。

初めての電車通学。当時は埼京線など無く、池袋~新宿間は、阿鼻供覧・
地獄絵図の車内。戦地の難民列車のような混雑でした。

一度など、池袋から両手いっぱいの画材を持った女子大生が、列の先頭に
立っていた為、乗車しようとする乗客に車内に押し込まれ、ヨロケて倒れそうに
なり、それを私が助けて受け止めた為に、新宿まで二人で熱く?抱擁したまま
微動だに出来ず、永遠とも感じられた新宿までの長旅をした事も有りました。

抱き合う直前に、スローモーションで見つめ合ってしまったお互いの目は、
私も彼女も忘れられない悲壮感溢れる光景として、今も二人の心に焼き付いて
居ると思います。





 「月下でも撮る」
FinePix S1Pro Tokina20-35mm (35mm)  f4.5 s1/16
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:2)花の艶。昼夜問わず色々撮って見ました。月下に浮かぶ椿の
花には、現代人が無くした色気が有ると思いました。今の男女は、生理的に
中性化し過ぎてますからね。

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今まで地元の人間ばかりで学生生活を過ごして来た私にとって、殆ど地方
出身者ばかりの大学生活は、毎日が異文化との出会いでした。

そんな大学生活で初めての「新たな目覚め」を突然体験するとは。。。
とてもビックリ!でした。

最初は、そんな地方の方々に馴染めず、昼食はボッチでレストランでピラフ。
そこのマスターには何故か色々優しくして貰いました。
何でだろう。。。??その時は分かりませんでした。

そのうちに段々とクラスメートと近所の中華料理屋にも行けるようになって
その事実を知る事になりました。

『野菜炒め定食!』と私が言うと、店員達が皆一斉に言いました。
『エッッッッ、男の子なの?????』

当時は、みな長髪でTシャツを着て、「ベルボトムのジーンズ」を穿き、
好き者は「ロンドンブーツ」や下駄で決め、「井上陽水」か「沢渡朔」
モドキの姿でした。

でも、女の子に思われていたなんて。。。微塵も考えていませんでした。
高校は、男子校だったので、自分の容姿に気を使ってませんでした。

どおりで満員電車で痴漢に遭うわけだヮーーーーーーーーーー!!
考えて見れば、身長160cm台・体重48kgで撫肩・赤毛な私でした。






 「花は多彩ですね」
FinePix S1Pro Tokina28-70mm (70mm) f5.6 s1/70
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:3)多くの被子植物は、おしべ・めしべを花の中に持っています。
雌雄同株などでなければ、明確な男女の区別は有りません。では哺乳類は??
人間には男と女と居ますが、男の娘はどっち???

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新たな自分を発見した私は、大学の帰りに新宿駅西口の地下ロータリーを
歩いていました。

そこでまた、自分の新たな別の一面を知る事になるのでした。

その時に突然サラリーマン風のおじさんに尋ねられました。
『二万円で、どっ、どうかな??』と。。。

当時の新卒の初任給が、九万円台の時代。二万円は大金です。
最初その言葉の意味するところが、まったく理解出来ませんでした。

すると唐突にそんな二人の間に割り込んで来た、別のおじさんが叫びました。
『この子は、俺が先に見つけたんだ!!』二人のおじさん達は何故か突然
掴み合いを始めました。

通行人達は、遠巻きで三人を取り囲みます。やっと事態が理解出来た私は、
「新宿駅西口交番」へと逃げ込みました。

交番で事の説明に行き詰まった私は、逃げるように地下街を走って行きました。
そこから新宿ステーションビルの中をジグザグに走り、やっとおじさん達から
逃げ切った私は、『ハテ、自分は何から逃げているのか??』と思いました。

やはり新宿には自分の想像すらしなかった世界が繰り広げられているのでした。
私に金額が付き、またプレミアムも付けられているとは。。。

でも落ち着いてくると、『二万円は大金だぞ。おじさん達を競い合わせたら
三万円かも知れなかったぞ。』とか『お前の貞操は、そんなに高額なのか??』
などの悪魔の囁きも頭の中をグルグルしました。

そうです。私も既に新宿人間に成りつつあったのでした。







「では艶とは」
FinePix S1Pro Tokina28-70mm (62mm)  f5.7 s1/108
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:4)今年も山茶花と椿の季節が始まりました。別の花も
撮っては見ましたが、椿ほど好き嫌いの多い花も珍しいので
撮りがいがあります。果たして艶は表現されているでしょうか??


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新宿に慣れてくると、西口のとあるビルの地下に有る、定期売り場の隣のトイレ
など、その世界の人達が、お互いに出会いや値踏みをする場所も分かって
来ました。

なるべくそんな世界には近づかないようにしていましたが、私の好きな池袋の
地下に有る名画座の二階席もその様な場所である事を思い知らされました。

私の太股を触りながら笑い掛けてくる、花柄の傘を持った重役風のおじさん
から逃げ回って、やはり私はその世界の人達に好かれている事を学びました。

そんな自分が嫌で、私は夏休みに大型二輪の免許を取りました。
Kawasakiの750をころがす内に、肩にも筋肉が着き、少しは男らしくなって
来ました。

でも相変わらずの長髪をヘルメットからなびかせ走り、信号で止まって
驚きました。私の後ろには、ストーカーのように男の子達のバイクが
一列に連なっていました。

時代は、まだ女性ライダーが天然記念物のような存在。
男の娘ライダーでも、大人気なのでした。



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撮影記:

結局、花の艶より自身のあぶない世界の話になってしまいました。
でも新宿は、馴染めば居心地の良いパラダイスです。

東口の「アカシア」の380円のロールキャベツランチを週二で昼に
食べ、授業が終われば西口の「バガボンド」で焼酎を呑み、東口の
「桂花ラーメン」で締めで食べて、終電で帰る学生生活は、まるで
ルーティン・ワークでした。

最近、支店の店長である「アカシア」の御曹司に偶然会い、思わず
学生時代にお世話になったお礼を時空を超えてしてしまいました。
彼はまだ生まれていなかったかも知れないのに。。。

当時一軒しか無かった「桂花」も普通の店になり、また「バガボンド」が
まだ営業している事実に驚愕もしました。

お陰さまで、男のピュアな世界には行かずに済んだ私ですが、相変わらず
外国旅行では、「マダム!」と声を掛けられ、相手を失望させております。
「美人???」って罪ですね。。。









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2011年11月23日水曜日

昇竜雲と母雲。

エッセイ 第7話

『あのヘソ曲がりは、絶対にうちの母親だな。。。』
私は、標高2000mの峠で呟きました。


私は、40代前半で母親の介護生活に入りました。
まだ早い感じがしますが、末っ子の私ですからお年頃です。

40前後で子供を産むと、こんな年齢関係になります。
早く産んだ子供では、老老介護になりかねませんので、体力的にはこの方が良い
ですが、働き盛りの時なので仕事との両立は無理だと思います。

私は仕事を辞める事にしました。再度同レベルの社会復帰は難しいでしょうが。。。
親としても子にしても時を選べない宿命です。

本当は、姉に介護して貰いたかった母ですが、やはり働き盛りで私より責任が
重い仕事で多忙な姉には、選択の余地はありません。

余命の見えた介護でしたが、病院での付き添い・その後の自宅介護と家事など、
やはり心身ともに重労働でした。

やがて私は「介護うつ」になりました。





 「初秋の冷風」
FinePix S1Pro Tokina100mm  f3.9 s1/362
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:1)日々寒くなり、木々を抜ける風も冷たく感じますね。
今はまだ緑の葉も、直ぐに色付いて来そうな寒さです。
来週には黄金色になるのでしょうか。これからが私の好きな季節です。

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その母を春先に亡くし、法事に追われ、整理に追われ、やっと心身が落ち
着いて来て、先々の事を考えられるようになったのは初秋の頃でした。

そんな自分の慰労?も兼ね、社会復帰行事として取材旅行先に選んだのは、
行き慣れた欧州アルプスの晩秋でした。

それは、浦島太郎状態で社会との関わりを無くした私にとって、今後の人生・
仕事を考える旅でもありました。

過去、欧州に春・冬・夏と取材に行って思ったのは、晩秋がこの時の私には
一番似あっているという事です。人生の落日に向き合った後でしたから。。。







 「実りの彩、トキワサンザシ(ピラカンサ or ピラカンサス)」

FinePix S1Pro Tokina100mm  f3.0 s1/362
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:2)人は、食べられない(青酸毒)ですが、その彩りには誘われます。
フィルムでは白飛びしそうな露出ですが、このデジタルは踏ん張ってますね。
背景の濃緑も深い色合いですが、これはレンズの描写が濃厚なせいです。
古いレンズですが良い玉に出会えました。

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欧州アルプスは、日本より緯度が高いので、晩秋と言うより初冬の寒さです。
空港で車を借りた私は、一路行き慣れたアルプスの峠道へと向かいました。

この年は、例年より初雪が遅く、まだ一回しか降雪がないとの事でした。
それでも早くしないとアルプスの峠道は、皆直ぐに通行止めになってしまいます。

車窓から見える薄く初雪が積もった山々は、麓には緑が残っていますが、中腹は
スッカリ紅葉していて三色の彩りを見せていました。

もう観光客には、殆ど会う事も無く、スキーシーズンまでの間の閑散期は、誠に
ドライブ日和です。でも観光登山鉄道も終了間近、宿探しも大変です。






 「輪そして和」
FinePix S1Pro Tokina100mm  f2.8 s1/256
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:3)緑・黄・紅・青、彩り多彩な秋色です。
踊る輪達がやがて和になる、素敵なハーモニーでした。

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高原の定宿に泊まり、翌日の早朝から峠めぐりを始めた私は、先ずは手近な
峠に向かいました。

2000m級のこの峠には、残雪こそ無いものの凍てつく空気が攻撃的です。
森林限界近くのこの場所は、雲が手に届きそうに見える撮影ポイントです。

針葉樹の林にはまだ朝靄が残り、白い煮こごりのようなお姿をしていて、
空には白い綿雲が低く広がり、その峠でせめぎ合っていました。

そのうちに雲間から白い腕のような雲が林に向かって滴り落ちて来ました。
それに応じるように林の靄達が吸い寄せられるように集まって盛り上がって
来ます。

それはやがて昇竜のように天に向かって太くそびえ立って行きました。
天に昇った龍は、雲間の腕に摑まれ滝の逆流のように靄達をどんどん雲に
取り込んで行くのでした。

なるほど雲と靄とは兄弟なのだなと納得の競演です。まもなく靄達は、他の
綿雲達と共にユックリと流れて行きます。その姿は合流した羊の大群の
ようです。

そんな中、それより低層を真逆に流れる雲が行きます。朝日を浴びて紅く
染まるその雲は、唯我独尊と言わんばかりです。

その姿は、死んだ母親そのもののような気がしました。

『なんだ、人は死んだら雲に成るのか。。。』

何の根拠の無いその思い付きの自分の言葉に、妙に納得した瞬間でした。

先程の昇竜のように、人の魂は天に招かれ、召されて行くのかも知れません。

そう思うと何か死を迎える事が辛い事に思えなくなりました。
空を流れる綿雲が皆亡き人の集いにも見え、とても清々しい気分です。

千の風も良いですが、空を巡る雲も良いなと思いました。新たな悟りです。
ところであなたは、どんな雲になりたいですか。。。







「午後の仙人」
FinePix S1Pro Tokina100mm  f5.7 s1/362
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:4)植物園の仙人さまは、いつもココにおいでになります。
兄弟の黒猫で、相方はいつもこのテーブルの下にいます。
そのお姿があまりに素敵なので、ウチのトレードマークにさせて頂き
ました。普段は愛想のいい仙人ですが、時々野生の顔を見せます。
そんな顔がなんか、凛!!としてますよね。

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撮影記:

三週間のあいだアルプスをさ迷った私は、湖畔のホテルに帰国まで二週間
滞在しました。宿探しにも疲れたからです。

フランスから働きに来ていたホテルの若い女性や、街のレストランの台湾の
若者など馴染みも出来て、再出発の心の整理がつきました。

あれから欧州には行く機会が無くアジアばかり行っていますが、またあの
峠に行き、天界と人界の狭間の駆け引きを見たく思っています。

きっと色々な亡き人達や愛犬愛猫達にも会えるような気がしますので。。。








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2011年10月5日水曜日

私が猫から貰ったものは。。。

エッセイ 第6話

『今日は、どの辺で待ってるかな?』
誰かが自分の帰りを待っていてくれるのは、嬉しいものですね。


その頃の我が家は、街で「猫屋敷」と呼ばれていました。
駅前の交番で、猫屋敷と聞けば分かるほどでした。

母は、動植物好き。生け花を嗜み毎日庭木の手入れ。チョッと変わってるのは、
なるべく自然のままで伸ばし放題。ミニ雑木林かミニ里山のような庭でした。

南東に面しているのに、日も当たらず風も通らず、いつも日陰でジメジメしていて、
その猫の額ほどの庭の中を沢山の野良猫が住み着いていました。

母は、そんな野生猫?も愛し世話を焼くので、段々と放牧猫?になって来ました。

正確な数は、点呼を取った事が無いので分かりません。何故なら街で捨て猫を
拾った子供達が、噂を聞いてまた我が家に捨てて行くからです。

玄関を開けると、今日も子猫の入った箱が置いてあります。何日も続いた時は、
本当に困りました。

放って置くと、近所の猫嫌いの人が袋に入れて、そのまま生ごみとして捨てたり
するので、慌てて何度も拾いに行きました。

子猫の貰い手探しにも奔走し、何とか許容量になってきた時に、その猫が住み着き
ました。





「上野の山の、彼岸花」
FinePix S1Pro Tokina17mm  f3.6 s1/38
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:1)大仏山の彼岸花です。この周辺は、上野の山のヌシである
猫国の政府が有り、閣僚達がその役割を遂行しています。代表的な
メンバーをご紹介致します。

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皆さんは、どんな猫が好きですか?トラ猫?三毛猫?黒猫?血統猫?
でも人気が無いのは、まだらな黒茶猫でしょうか。

縞猫ではなく斑猫です。ぶち模様が綺麗に見えないせいか、その猫は近所でよく
水を掛けられたりしていました。(さび猫と言うそうです。コメント欄からご指摘、
ありがとうございます。)

痩せた雌猫で、確かに顔も見た目が良くない模様でしたし、二階のベランダで
始終妊娠・出産を繰り返し、その度に子猫を他の猫に獲られたりしていました。

その為、私がいつも居る安全な私の部屋の窓下に住み着いて、顔馴染みになって
来ましたが、正直なところ有り難くありませんでした。

当時は、役所が年に一度先着順のみ避妊手術の助成をする位だし、今のように行
動的な動物愛護団体も近くに無く、お金の無い私は、ほっとくしかなかったのです。

そんな痩せ親猫は、よく他の猫に餌を盗られたりします。その為に特別食をあげ
たりしているうちに、玄関で帰りを待つようになりました。

その待つ場所が、近所の家になり、近くの四つ角になり、遠い辻になりと、段々と
駅に近くなって来ました。

当時は、サラリーマンをしていたし、残業もあまり無いく土曜も出勤でしたので、
ほぼ毎日同じ時間に帰宅していました。

その為、帰宅時刻になると遠出をしてまで迎えに来てくれるようになったのです。





「上野の山の、官房長官」
FinePix S1Pro Tokina17mm  f3.9 s1/59
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:2)報道官も兼ねて活躍しています。一番愛想の良い猫大臣なので山では
有名な猫。私には、こんなワイドアップ撮影にも応じてくれます。ご苦労様です。

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『今日は、こんな遠くまで迎えに来たのか。この先は国道だし、もうこれ以上
遠くに来るなよ。』

遠征して待ってくれている痩せ猫に、私は思わず言って聞かせました。
それが分かるかどうかは別にして、一日一度の再開をお互いに喜び、前になり
後ろになりして一緒に帰ります。

その頃には、仕事後の付き合いも断り、なるべく同じ時間に帰るようにして、
猫を待たさないように心がけていました。

酒好きな私は、その代わりに帰宅後直ぐにビールを買いに行く散歩をしました。
もちろん猫もお供です。

当時は、酒はどこでも同じ値段。一番良く冷えた自販機に毎日行きました。
猫は、時々立ち止まり、頭を私の足に擦り付けてくるので、手で頭を優しく
撫でてやりました。

そのオネダリなのか、私の歩く時の手にジャンプして頭をスリ着けようとします。
そのうちに手を翳すだけでジャンプするようになりました。

私は段々面白くなって来て、手を翳し『ジャンプ』と言い猫を跳ねさせます。
まるでイルカの調教師にでもなった気分です。

また自販機でビールを買った後、その場に猫に「待て」をさせてから、遠くから
『来い』と呼んで走らせたりも出来るようになりました。

そんな姿は段々街の噂になり、初めて見る女子高生達は、キャーキャー言います。
私と猫は、毎日得意げに散歩をしたものです。






「上野の山の、幹事長」
FinePix S1Pro Tokina28-70mm(63mm)  f2.8 s1/41
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:3)睨みを利かせる上野山のドン。愛想の悪さで有名猫。
私が食い下がっても、こんな顔しか撮らせてくれません。ご苦労様です。

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そんな或る日、いつもの場所に猫が居ません。今日は何か付き合いでも有るのか
なと思うだけでしたが、家が近くになるに従い、屋根の上、植木の茂み、塀の上に
気配がします。これは新手の芸かなと思い、突然振り返ったりして猫を探します。

茂みに目だけ光ったりもするので、『なんで出て来ないんだ、虐められたか?』
と聞きましたが、出てくる様子がありません。

怪我でもしてないか心配で、家に帰ると栄養価の高い餌を置き、その日は、ビール
散歩をしないで寝ました。

翌朝見ると餌が無くなっていました。どの猫が食べたか分かりませんが、猫は
時々突然どこかに行き、突然帰ってきたりするので、あまり気にしないように
しました。きっと何処かの集会にでも出席でもしているのだろうと。。。





「外務大臣と総理大臣」
FinePix S1Pro Tokina28-70mm(70mm)  f2.8 s1/99
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:4)周辺のカラス国に脅かされる外務大臣猫と、総理大臣猫。
遺憾の意、乱発です。ご苦労様です。

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2・3日しても姿が見えないので、気になって近所に有るもう一軒の猫好きの
家庭を尋ねました。
あの猫は、ここでも餌を貰っている事は知っていました。

『最近、あの斑猫を見ませんね』と尋ねると、その家でもよく来ていたようで
話が弾みましたが、どうも教えてくれた事によると、近所で車に轢かれて死んだ
そうです。

それは、あの姿を見せずに帰り道をついて来た日でした。

そうなって見ると、何でもっと可愛がってあげれなかったものかなとか、家で
飼えなかったかなとか考えました。既に家猫が三匹も居て建具もボロボロ、野良
育ちの猫が大人しく一緒に暮らせるとは思えません。

後悔ばかりが続き、寂しい毎日が続きました。有って当たり前のものが突然無く
なる寂しさを味わう日々を過ごしました。本当にほんとうに。。。




暫くしての或る日の帰り道、またあの気配がします。あっちの茂み、そっちの
暗闇と、いつまでもついて来ます。

私は、その気配がする暗い茂みに向かって言いました。

『ありがとう、楽しかったよ。でも、、、もういいんだよ。』





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撮影記:

あれから不思議と庭の猫が少なくなり、ついには一匹も居なくなりました。
母には、ご近所の事もあるから、もう餌を辞めなさいと諭しました。

言って聞くような母ではありませんが、何故か野良猫が住み着かなくなりました。
街の野良猫も極端に少なくなり、私は猫も住めない街になったかと嘆きました。

あれから数十年、最近また野良が増えました。今でも斑猫を見るとドキドキします。
野良を撮影する時に、私は必ずあの猫の事を猫達に聞いて見ます。

『伝説の猫を知ってる??』










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2011年9月30日金曜日

墓場の木たろう達は、何を見てきたのか。

エッセイ 第5話

『ご無沙汰してます。また来てしまいました。』
『また来たのですか。。。私の姿のどこがイイのですか。』


墓地が好きです。

理由は、三つ有ります。一つ目の理由は、そこに茂る老木達です。

墓石だけが整然と並ぶ霊園よりも、新旧ある墓石の中に、浮島のように日陰を
作る大木の姿に、心安らぎます。

椎ノ木が多いですが、樹齢80年を越すような大木は、なにか主のような貫禄が
ありますね。

何度か行くうちに、お気に入りの木も出来て、今まで見て来た事を色々聞いて
見たくなって来ます。そんな木に、自然と挨拶する自分が居ます。





「木たろう、江戸怪談風、遠景」
FinePix S1Pro Tokina28-70mm (39mm)  f11.3 s1/512
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:1)いつもは、早朝に会いに来るのですが、今日は昼下がり。
その大木の枝は、鳥達の格好の集合場所。私は、彼を「木たろう」と名づけました。

最近剪定されたらしく、その「ぼーぼー頭」は、随分とサッパリしていますが、
それまでは、霊気宿る御神木のような風貌でした。まるで江戸怪談の浮世絵風に。

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さて二つ目の理由は、誰でも迎える永眠の地が醸し出す静寂が、雑念を祓って
くれるからです。

閉所恐怖症ぎみの私は、入る事は無いかも知れませんが、その姿に煩悩の儚さを
教えられます。

またそこに有る墓のひとつひとつに、その人の人生の歴史が有る事です。

思わぬ所に時代を動かした人が、ひっそりと眠っていたり、無名ながら偉業を
成し、その業績を記して丁重に葬られた方々の人生を辿る事が出来る歴史散歩
です。



「木たろう、広重・名所江戸百景風、近景」
FinePix S1Pro Tokina28-70mm (28mm)  f9.5 s1/362
(クリックで拡大、1200×800)

 (フォト:2)歌川広重の名所江戸百景のような、名所風に撮って見ました。
現代らしい背景にも、一つ目に見える「木たろう」がマッチしてます。

広重の時代から、木たろうが生えていたかは微妙なところですが、この高台
から、ずっと野辺送りや墓参の人々を見守って来たのでしょうね。

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そんな私ですから海外に行っても、時間が余ると人混みよりも、墓地へと足を
向かわせます。

その墓石をひとつひとつ訪ね、生誕・没年から人生を想像し、名前から何処の
国の家系なのかを推理し、その冥福を祈ります。

ヨーロッパに初めて行った時にも、最初から街中のホテルを選ばず、人知れず
山里にある宿に飛び込み、その村の高台に有る教会に先ず出掛けました。

夕暮れの教会は、人影は無く小さな墓地があるだけでした。全ての墓に綺麗な
高山植物の花が飾られ、とても良く手入れされていました。

どれも新しそうで、歴史有るものは少数です。平らな土地が少ないので墓地が
狭いのは仕方が無いですが、どこか別の場所にも有るのかなと思っていました。

それと同じかどうかは分かりませんが、ひとつの答えをオーストリアの湖畔の
村で見つけました。

この村も平地が殆ど無く、死者は教会の近くに有る墓地に埋葬されますが、
何十年か後には、骨を出し教会の納骨堂に収め、空いた墓を再利用するよう
です。

色々な墓地との付き合いが有るのだなと思いました。日本でも縁者が切れると
無縁仏として合祀される事が多いですが、それとは違い骨に名前を書き家族が
折々に触れ合いを持つようです。

所用が有ってシンガポールに行った時も、早々に用事が済んだので、その人工的
な街に馴染めず、墓地巡りをして来ました。

先ずは、日本人墓地が有る様なので、地下鉄に乗り、駅から遠い高級住宅街に
ある墓地公園に向かいました。

静かな住宅街にある墓地は、日本人会の方々や現地スタッフによって良く管理
されていて、その静寂の中に居ると、ここは日本では?と錯覚します。

ここにも「木たろう」の大木仲間が多くいて、熱帯の熱を遮ってくれています。

次は、英連邦戦没者墓地にも行きました。ここは広大な丘に整然と墓碑が並び、
聖地のように手入れされていて、吹き抜ける風が南国です。

ここでも丘の上には、まだ若い「木たろう」の仲間が静かに日陰を作っていました。











「木たろう、仲間の職務全う姿」
FinePix S1Pro Tokina17mm  f6.3 s1/166
(クリックで拡大、1200×800)

 (フォト:3)「墓場の木たろう達」の宿命。日陰を作り、大風から守り、
憩いを作って来た彼らは、大きく成りすぎた所で職務を全うします。合掌。

この木たろうの仲間は、根が張りすぎて、お坊さんの墓石を傾けて仕舞いました。
また先日の大地震で、それが遂に倒壊。まだ修復されていないようです。

初めて来た時は、まだ伐採直後のようでしたが、もうこの様に根が風化し始めて
来ました。こんな風化根が霊園の彼方此方に有ります。

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木たろう達が、もし神社に聳えていたならば、ご神木として敬われ天寿を全う
していたでしょう。

でもそれが幸せかと言うと、私には分かりません。職務を全うする姿が美しい
かと言えば、それも分かりません。

そんな難問に答えを求めて、三つ目のお楽しみにも会いにゆきます。
彼らには、我々と同じく移動する自由が有りますが、さて御意見は。。。









「木たろう、名脇役の墓猫」
FinePix S1Pro Tokina17mm  f7.3 s1/215
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:4)この霊園で一番毛並みの良い墓猫です。愛想の良い彼は、食べる
事には苦労しないのでしょう。丁度お彼岸の時だったので、実入りが良かったのか
私には、何もオネダリせず、一頻り遊んだ後にモデルになって貰いました。

ワイドレンズの前で、ポーズをとる彼ですが、時々とても遠い目をして、世の
無常を嘆きます。彼らもまた、この墓地で色々なものを見てきたのでしょうか。

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撮影記:

人の幸せとは何でしょう。少なくとも私は自分の思うとおりに生きて来たので
幸せです。

金銭的な財産は、何も生み出していませんが、何とか善人に助けられ生きて来れ
ました。

たとえこの先で野垂れ死にしても、今まで色々と迷惑を掛けて来たので天命と
したいと思います。

心残りが有るとすれば、「私の職務を全うしようとしているか」です。
全うするかは運ですが、しようとしているかは、自分だけの話です。

また、木たろう達に教えを請いに行きたいと思います。








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2011年9月27日火曜日

夏の終わりの記憶。少年時代の謎女性。

エッセイ 第4話

『起きて、、、行くわよ。』
本当に起こしに来るとは、、、家族を起こさぬように、ソッと出掛けました。


うちの両親は、子供達を滅多に旅行などに連れて行かない不思議な親でした。
物心付かない内は、海水浴・潮干狩り・動物園などには連れてったようですが、
(写真は有り)記憶では、羽田空港・後楽園遊園地くらいしか覚えが有りません。

ですから、学校の林間・臨海学校、社会科見学が大変待ち遠しかったです。
きっと両親の仲が悪かったので、そんな家庭環境になったのでしょうね。

でも世間体が悪く思ったのか、父親は会社の所有する湖に有る保養所に、二度
ほど家族を行かせました。

滅多に旅行など出来ない私は、何もかも新鮮で、今でもその時の出来事を鮮明に
覚えている程です。

そんな時の謎女性。




「うろこ雲参上」
FinePix S1Pro Tokina17mm  f10.7 s1/2048
(クリックで拡大、1200×800)

 (フォト:1)「うろこ雲、始めました。」気象庁の軒先に、掲示される
今日この頃ですが。。。皆様、如何お過ごしでしょうか?

ウソですよ。本当に見に行かないで下さいね!気象庁も、それ位
粋だと嬉しいですが。。。

でも、うろこ雲が出始めると、夏も終わったな~と思いますね。

(正式には、巻積雲・高積雲と言うそうです。鰯雲、鯖雲、羊雲とも呼ばれてます。)

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保養所の職員の娘のようで、歳はおそらく十九・二十歳。こちらは、小学生半ば。
最初に出会った時から妙に親しげで、あれやこれやと世話を焼いてくれました。

対等な物言いには、つい此方も背伸びして話してしまう程の不思議な関係でした。
そんな中の、3・4日目頃の夜半に、「明日の早朝に、湖でボートに乗らない。」と
誘われました。

ボートなら今日も兄と乗ったし、彼女も朝食の手伝いなどで忙しかろうと思ったので
すが、強引な誘いなので素直に従いました。

「じゃ、朝に起こしに行くから!」と、言うのですが、客室にどうやって入って来る
のかなと思いつつ、眠りにつきました。





「のっぽん」
FinePix S1Pro Tokina28-70mm(28mm)  f2.8 s1/10
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:2)残暑の中、浜松町に呑みに行った帰り道、のっぽんに灯りが
点いたので、撮って見ました。何故か和風な景色に馴染んでいるんですよね。

まだ地に足が着いてないような、(ツリーに使う言葉では、ないですが)
スカイツリーとは違い、歴史の風格が出てますね。

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起こされて二人でソッと抜け出した外は、空気がヒンヤリ冷たく、朝靄に行く手は
まるで見えず、こんな中でボートに乗れるのかな??と子供心で思いました。

ボート乗り場に着くと、話は付けてあるからと勝手にボートを出し、彼女のオール
捌きで波の無い湖面に漕ぎ出しました。

彼女は、とても楽しげで、本来ならば男の私が漕がなくてはイケナイのに、手馴れた
操船で湖の真ん中まで直ぐに着きました。

そんな時に、遠くからパワーボートに乗った男衆がやって来て、盛んに私達を冷や
かします。どうやら彼女の顔馴染みのようで、そんな彼らに苦笑いをしていました。

早朝の従業員達(地元の幼馴染達?)のお楽しみなのでしょうか、そんなパワー
ボートが沢山疾走していました。

そんな冷やかしに満足??したのか、「もう、戻らないと。」と言って、岸へ折り
返しました。



「空一文字」
FinePix S1Pro Tokina28-70mm(70mm)  f10.4 s1/431
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:3)
「夏の終わり、少しは涼しくなって来て、清々しい空を貫く飛行機は、
白い尾ッポを残します。」

成田からのヨーロッパ便でしょうか?その真っ直ぐ感は、何か優等生に
見えますね。

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帰りの山道を歩く頃には、朝靄も無くなり、夏の朝日が眩しく、二人は何も言わず
歩きました。坂を上れば、もう少しで帰れる所まで来た時。。。

突然彼女が前を見たまま話し始めました。

「明日ね、お嫁に行くんだ。。。私。」

私は、子供的には、事態は分かりました。
でも、男として何をどう考えていいやら。。。
沈黙した時間が、風音も無く過ぎて行きました。

フリーズした私をそこに残し、「先に帰るね。」と彼女は、此方を見ずに急に走って
帰りました。
長い白木綿のスカートが、スローの残像のように靡いて行きます。

それっきりです。翌日には、本当に彼女は居ませんでした。
親御さんに聞くわけも行かず、親に話すわけも行かず。フリーズした私は、今でも
そのままです。





「9・16、都心で低空過ぎるぞ!」
FinePix S1Pro Tokina28-70mm(70mm)  f4.2 s1/128
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:4)アレ、東京タワー方角から低空で、飛行機がこちらにやって来ます。
羽田の着陸やり直し機でしょうか?山手線の上を一周中、我が家にその腹を見せに
来ました。低すぎだよ!!スカイツリーに当たりそー。ヘタクソ、この劣等生!

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撮影記:

今年は、いつまでも暑かったのに、急に涼しくなりましたね。
うろこ雲も始まり、秋の風がとても懐かしく肌に弾けます。

いくつなっても、毎度夏の終わりは「セツナイ」ですね。
また幼い日々の夏の記憶ほど、今になると段々と鮮明に蘇ります。

皆さんどんな夏の記憶を忘れずにいますか。私にとっての、少年時代の夏の記憶。
あの日からフリーズしたままの私は、今でも女心が全て謎です。












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追記:

(今時の二十歳に読んで貰ったら、全く理解出来ないようなので補足します。)

時代は、昭和30年代末。地方では、まだ子供や女性の生き方を親が決めた世代。
今、考えてみれば思い当たる節もありますね。








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2011年7月29日金曜日

植物園なのに、植物や花の話はございません。

エッセイ 第3話

『あら、今日も来たのですか。仕事熱心なんですね。』
こちらは、気楽な近隣散歩。彼には、頭が下がる今日この頃です。



我が家の近所に植物園があります。今までおそらく300回くらいは、行って
いるのではと思います。ほとんど「我が家の庭」状態です。この際ですので
「我が家の所領地」宣言致します。

赤ちゃんの時は、母親に抱かれ、幼稚園の時は遠足で、小学校の時は、
写生会・ハイキング、放課後は、ザリガニ釣りに毎日。中学校の時は、
理科部にいたので、カブトムシ・クワガタなどの採取と飼育も。
(小さい頃は、夕方に行けばいくらでも落ちていたのであんまり興味無し。)

高校も近かったので、写真撮影に。大学から会社員の時は、新しいカメラか
レンズを買った時や、新製品のフィルムが出た時にテスト撮影をしに行ったり。

フリーになってからは、丘陵斜面を横切る木立の山道を「思索の道」と私が
勝手に呼んで、天気の良い日に「哲学者」のような顔をしながら散策しています。

そんな我が所領に、ここ数年のこと新参者が毎日来ます。律儀に来る所を
見ると、契約社員か派遣社員かも知れません。

困った事に最近は、彼をお目当てに来たり、ストーカーばりに望遠カメラを
設置して、一日を過ごす輩も現れる始末。そんな彼の出勤風景は。。。














 「ご出勤」
FinePix S1Pro Nikon35-80mm(80mm)  f5.7 s1/395
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:1)タイムカードは、どこで押すかは知りませんが、颯爽と歩く姿は、
確かに凛々しいです。今日もお仕事ご苦労様です。
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実は彼、休日・祝日は、華麗に舞い降りて、羨望の的でのご出勤ですが、
平日の天気の良くない時など人目の多くない日では、どこからか徒歩で
やって来ます。

最初に私に見られた時など、バツの悪いダイサギ顔をしましたが、あんまり
にも私に会うので、最近は、ご覧のように私がいつも座っている所の前を
平然と歩いて通ります。

私は、ここが唯一の無線LANポイントなので、毎度ここに座りますが、彼に
とっては、ご都合の悪い場所のようです。

そんな彼も給料を貰っている筈ですので、入場者にいいとこ見せなくては、
なりません。さあ、お仕事の始まりです。



 「さて、お仕事」
FinePix S1Pro Nikon50mm f2.3 s1/2048
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:2)その距離、約2m。私にはこんな近くでお仕事を見せてくれます。
なんか逆に無視されているようで、楽しくはないですが。
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小魚などが主食の彼にとって、食事と実益を兼ね備えた「美味しいお仕事」
なのでしょう。その真剣な目に、プロフェッショナルの誇りとシタタカな計算が
見て取れます。ホンマ、かなわんわ。



 「お見事」
FinePix S1Pro Nikon50mm  f2.2 s1/2048
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:3)よく遠くから望遠レンズで撮影した写真は、見ますが、なかなか
カブリツキや砂被りでのご披露は、無いと思います。大サービスです。
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彼のお陰でこのところ、リピーター入場者が増えております。これでは、正社員に
昇格する日も近いでしょう。

最近この人気にあやかろうと、カワセミが面接に来たとも聞いています。もう既に
パート採用で、時々出勤しているらしいです。(初日にパパラッチされてます。)



「ご帰宅風景」
FinePix S1Pro Tokina28-70mm(70mm) f9.2 s1/332
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:4)先日偶然に我が家から見た、ご帰宅風景です。アラ、同伴!
ま~人気者ですからね。億ションとかに住んでいるのでしょうね。イイナ~。

※よく見ると背景のクロス型雲が、ダイサギに見えますね。ナイス演出。
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撮影記:

子供の頃は、野生のウズラ親子・キジ・青大将など、スターが色々居ました。
キジは、我が家の庭の木にも、おいでになりました。
青大将は、縁の下にもご来訪くださいました。

その時の植物園には、泉が沢山湧いていて、有り余るその水は、行き先が
無く各池を巡った後に道に溢れ、泥濘を作った後下水に消えて行きました。
その昔は、今は暗渠になっている千川通り下の千川に注いでいたのでしょう。

小さいですが滝もあり、雨の後は、結構な落水がありました。その水を避け
ながら平らな大石の石橋を渡るのが子供の遊びでした。

今は近隣の開発などで水脈が切れ、枯れてしまっています。雨水の浸透する
空き地もなくなり、面影もありません。

木登りしていても管理の人は、そんなに注意する訳でもなく、今とは違い
鬱蒼と茂る森の奥は、子供には怖いくらい密生していました。

お小遣いを握り締め、最近まで現役だった売店のオバチャンの元に走り、
(このオバチャン、物心付いたときから近年までずっと売店にいました。)
アイスクリームバー(後のホームランバー)や、ザリガニ釣り用のイカ足を
買いに行き、皆で分けました。

今では皆、遠い日の夢物語です。







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2011年7月27日水曜日

屋根の上に登る日本が誇る伝統と、「雲景」写真。

エッセイ 第2話

『今日は、何だか綺麗な夕焼けになりそう。』そんな予感がしました。
飲み物持って、出掛けましょうか。楽園へ。


昭和の時代のドラマや漫画に、よく主人公などが屋根に登って星を
見たり、二人で夕日や花火を見ながら話したり、猫と過ごしたりする
場面がありましたよね。

アレって平屋が多かったし、兄弟が多くて自分の居場所が無かったり、
親に怒られたり失恋したりして、泣いている所を見られたくなかったりと、
一番身近な現実逃避場所だったのが理由なのでしょうか。

今なら、父親の部屋が無くても子供の部屋はあるし、兄弟も少ないし、
家電(イエデン)使わなくても、携帯でいくらでも愚痴を聞いてくれる友達
もいるし、ネットで晒して笑い飛ばす事も出来ますよね。

 「今日は綺麗」
FinePix S1Pro Tokina28-70mm(70mm) f10.6 s1/470
(クリックで拡大、1200×800)
(フォト:1)22日、久しぶりに綺麗な夕日が出ました。細長い黒雲の下を
通る光も良い感じです。
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でも、今でも屋根に登るのって、チョッと憧れですよね。私の子供の頃に
住んでいた家は平屋でしたが、瓦が戦後の品質の良くない時代のセメント
瓦だったので、親に絶対登っては駄目と言われていました。

実際の話、大きな桃の木が庭に有ったのですが、その実が屋根に落ちると
その瓦が割れる音がしました。そんな訳で、その憧れが実現できたのは、
中学生になる前に家を建て直した後でした。

二階のベランダに有る物干し台をよじ登り、初めて上がった時の感動は、
それはそれは開放感がイッパイでした。学校の屋上では味わえない恐怖と
柵の無い風通しの良いサッパリ感が最高でした。


 「雲がシマシマに」
FinePix S1Pro Tokina28-70mm(70mm) f9.5 s1/362
(クリックで拡大、1200×800)
(フォト:2)その光が段々と黒雲をシマシマにして行き、何やらどこかで見た
ような海産物に見えて来ました。
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写真撮影は、小学生から暗室作業をするくらい好きでしたが、中学生になり
作品制作を考えるようになった時に、最初に出会った題材が「雲景」でした。

友達たちは、みんな写真と言えば鉄道写真で一色の時代、私も何度か付き
合って車両区に行ったり、SLを撮ったりしましたが、私が目覚めたのは、雲の
変幻自在の姿と、光線具合で変わる錦の色でした。

釣りはヘラに始まりヘラに終わると言いますが、(諸説有)私的には、写真は、
「雲景」に始まり「雲景」に終わるのだと、この時に悟りました。(どんな中学生?)



 「車えび雲に」
FinePix S1Pro Tokina28-70mm(28mm)  f8.2 s1/279
(クリックで拡大、1200×800)
(フォト:3)これはどう見ても、あの車エビではありませんか。シマシマ具合と
いい、ヒゲのツンツン具合といい、その「短足」をバタバタさせて天に昇るような
お姿です。
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しかし、ベランダの雨漏りを止めるために、屋根を付ける事になり、私の悟りの
楽園は、あえなく閉園となりました。その後は旅の写真を撮ったり、水中写真を
始めたりで、楽園に戻るのは、だいぶ先の事でした。

会社を辞めてフリーになった頃、長年屋根の塗り替えを頼んだ大工が、高額な
修理代を請求するので、私が代わりに作業するようにと親が言って来ました。

長梯子が無いので、ベランダ外側に脚立を縛り付けて、恐々登ったそこは、
あの悟りの楽園でした。(「お帰り!」との空耳が聞こえました。)

何とか楽に登り降りが出来るようにと、ベランダ屋根の一番上を開閉式に
改造して、楽園への階段を確保しました。

それからは、マメにペンキの塗り替えをしたり、隅田川の花火大会を見たり、
(第一・第二会場とも遠いですが、尺玉クラスは、ビルの間から見えます。)
夜の流れる雲をいつまでもいつまでも眺めたりしました。特に台風前の不安
定な天気の中、どんどん流れて行く雲に心がときめきます。嵐の前の静けさ
と躍動感に。(真上を通り過ぎる雲は神秘的ですよ。)



「下には子えび達も」
FinePix S1Pro Tokina28-70mm(70mm) f7.1 s1/197
(クリックで拡大、1200×800)
(フォト:4)よく見ると、お腹の下辺りにも子エビ達が、バタバタしております。
とんだ親子の競演を堪能した夕方のひと時でした。
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傾斜の緩やかなトタン屋根の我が家の楽園は、時には客人の接待や、近所の
子供達の花火見物の場としても活躍致します。

視界を遮る物の無い屋根の上で、流れる雲を眺めつつ何度もそのまま寝て
しまった事もあります。そして最近ここから撮った写真のホームページも作り
公開しております。(勢い余って、本当にスピンアウトして作ってしまいました。)

勿論カメラは、我がS1Proです。細やかな雲のトーンは、その画素数の少なさ
から、お世辞にも綺麗ではありませんが、フィルムぽいザラザラ感を楽しんで
頂けたら幸いです。

雲の動物園 Cloud Animal https://sites.google.com/site/cloudanimalzoo/


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撮影記:

我が家の楽園には、よく色々な動物雲が尋ねて来てくれます。大物が多いので
皆さんは道を歩いていて全体像が見えず、気が付かないと思います。
車えびの家族も、そんな大物のメンバーです。

チョッと見る場所が違うだけでも全然違うものに見えますし、その美形は一瞬です。
一期一会の出会いと別れ。そんな重たい関係ではなく、ただ楽しむだけが最高の
心構えかも知れません。

最近、近所のビルが解体されたので、何十年ぶりに楽園から東京タワーが見える
ようになりました。

その遠いお姿は、やはり昭和の顔だな~と思います。そこから東に目を向けると
昇竜中のスカイツリーが、マンションの上からこちらを見ています。
これからの動物雲フォトにも登場するかも知れない、新しい楽園の仲間です。






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2011年7月14日木曜日

デジアナ合体、二人羽織メカ。

エッセイ 第1話

『よし、今日から撮り始めましょう。』老体に鞭打って、最後の大仕事。
思い残す事の無いように、無理せず、騙しだましでユックリと。
S1Proの再出発です。



 デジタルカメラとのお付き合いは、フィルムカメラの「それ」とは違い、
ある日突然お別れが出来たりもする、家電的なドライな関係ですよね。

携帯電話のように電波が繋がらなくなる訳ではないのですが、移り気な
私達は、より高性能で小型軽量でスタイルの「良い子」に心引かれます。

自ずと昨日までの「ご愛用」は、下取り・お下がり・オークション・転売
などのルートをへて、最後は中古ワゴンセールの「山の賑わい」へ。

フィルムカメラのように、プレミアが付く事もなく、寂しく忘れられて行き
ます。

「クラゲ雲」
FinePix S1Pro Tokina28-70mm(28mm)  f10.1 s1/431
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:1)今日の夕暮れ。お気に入りの屋根の上、何も遮るものが無い
天頂には、まある~い大渦雲がとぐろを巻いていました。もう台風の
影響ですかね。。。
そのミズクラゲの傘と生殖巣ような、渦の真ん中を写した一枚です。

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 2000年に発売された「S1Pro」は、普及型一眼デジタルを目指し、
フィルムカメラボディーにデジタル部を背負い込む、「二人羽織」的な
合体カメラです。

分解写真を見ると、殆ど連携メカの無い、「独立営業」な二つの機械で、
これで最先端の画像を出したとは。。。開発者は「凄腕外科医」では?

今見れば、過渡期ならではの試行錯誤の形です。

「銀腹飛行機」
FinePix S1Pro Tokina28-70mm(70mm) f9 s1/332
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:2)その後、頭上に次々と旅客機が。。。丁度中国行きの便の
通り道らしく、毎日その光る腹を見せに来ます。

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 もう、とうの昔に仕事では使わなくなった「S1Pro」ですが、「半アナログ」
「半デジタル」なその両性体と、古時計のような妖姿で、いつの間にか
我が家の一員になっています。まるで「家になつく」、老猫のように。。。

「産卵雲」
FinePix S1Pro Tokina28-70mm(70mm) f8 s1/256
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:3)そのまま西空に目をやると、お日様が沈む前なのに、雲に
隠れてしまいました。
その雲もまた、二匹のお魚が口を開けて寄り添うようなお姿。。。産卵中かな。

かなとこ雲って言うらしいですが、これはどう見ても、鮭が二匹ですよね。

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カメラの名を冠した不思議なこのブログですが、手の掛かる「愛猫」の
ような、その「生態」を時々綴りたいと思います。

「お月様、お出まし」
FinePix S1Pro Tokina28-70mm(70mm)  f8.2 s1/279
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:4)最後に東の空からは、「夜の顔役」が昇月。
さてだんな!円満顔で今夜はどちらにお出かけですか。。。

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撮影記:

上の4点は、日没時のほんの9分間の撮影です。
一度に色々な雲が見れたひと時でした。

写りは、昨今のデジカメのように、スッキリ綺麗な色で
はなく、何か古いカラーフィルムのような独特な濁りが
ステキです。
拡大すると粒々ノイズが銀粒子のようで、懐かしいです。

でも良い事ばかりではありません。
今回は、空ばかり撮って、失敗でした。久しぶりにフォトショで
ゴミ取り・ノイズ潰しをしました。

こんな事は、暫くやってませんでした。今のデジタルは手間
いらず。もう過去の作業です。
やっぱり手の掛かる「老猫」でしたね。






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