エッセイ 第5話
『ご無沙汰してます。また来てしまいました。』
『また来たのですか。。。私の姿のどこがイイのですか。』
☆
墓地が好きです。
理由は、三つ有ります。一つ目の理由は、そこに茂る老木達です。
墓石だけが整然と並ぶ霊園よりも、新旧ある墓石の中に、浮島のように日陰を
作る大木の姿に、心安らぎます。
椎ノ木が多いですが、樹齢80年を越すような大木は、なにか主のような貫禄が
ありますね。
何度か行くうちに、お気に入りの木も出来て、今まで見て来た事を色々聞いて
見たくなって来ます。そんな木に、自然と挨拶する自分が居ます。
「木たろう、江戸怪談風、遠景」
FinePix S1Pro Tokina28-70mm (39mm) f11.3 s1/512
(クリックで拡大、1200×800)
(フォト:1)いつもは、早朝に会いに来るのですが、今日は昼下がり。
その大木の枝は、鳥達の格好の集合場所。私は、彼を「木たろう」と名づけました。
最近剪定されたらしく、その「ぼーぼー頭」は、随分とサッパリしていますが、
それまでは、霊気宿る御神木のような風貌でした。まるで江戸怪談の浮世絵風に。
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さて二つ目の理由は、誰でも迎える永眠の地が醸し出す静寂が、雑念を祓って
くれるからです。
閉所恐怖症ぎみの私は、入る事は無いかも知れませんが、その姿に煩悩の儚さを
教えられます。
またそこに有る墓のひとつひとつに、その人の人生の歴史が有る事です。
思わぬ所に時代を動かした人が、ひっそりと眠っていたり、無名ながら偉業を
成し、その業績を記して丁重に葬られた方々の人生を辿る事が出来る歴史散歩
です。
「木たろう、広重・名所江戸百景風、近景」
FinePix S1Pro Tokina28-70mm (28mm) f9.5 s1/362
(クリックで拡大、1200×800)
現代らしい背景にも、一つ目に見える「木たろう」がマッチしてます。
広重の時代から、木たろうが生えていたかは微妙なところですが、この高台
から、ずっと野辺送りや墓参の人々を見守って来たのでしょうね。
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そんな私ですから海外に行っても、時間が余ると人混みよりも、墓地へと足を
向かわせます。
その墓石をひとつひとつ訪ね、生誕・没年から人生を想像し、名前から何処の
国の家系なのかを推理し、その冥福を祈ります。
ヨーロッパに初めて行った時にも、最初から街中のホテルを選ばず、人知れず
山里にある宿に飛び込み、その村の高台に有る教会に先ず出掛けました。
夕暮れの教会は、人影は無く小さな墓地があるだけでした。全ての墓に綺麗な
高山植物の花が飾られ、とても良く手入れされていました。
どれも新しそうで、歴史有るものは少数です。平らな土地が少ないので墓地が
狭いのは仕方が無いですが、どこか別の場所にも有るのかなと思っていました。
それと同じかどうかは分かりませんが、ひとつの答えをオーストリアの湖畔の
村で見つけました。
この村も平地が殆ど無く、死者は教会の近くに有る墓地に埋葬されますが、
何十年か後には、骨を出し教会の納骨堂に収め、空いた墓を再利用するよう
です。
色々な墓地との付き合いが有るのだなと思いました。日本でも縁者が切れると
無縁仏として合祀される事が多いですが、それとは違い骨に名前を書き家族が
折々に触れ合いを持つようです。
所用が有ってシンガポールに行った時も、早々に用事が済んだので、その人工的
な街に馴染めず、墓地巡りをして来ました。
先ずは、日本人墓地が有る様なので、地下鉄に乗り、駅から遠い高級住宅街に
ある墓地公園に向かいました。
静かな住宅街にある墓地は、日本人会の方々や現地スタッフによって良く管理
されていて、その静寂の中に居ると、ここは日本では?と錯覚します。
ここにも「木たろう」の大木仲間が多くいて、熱帯の熱を遮ってくれています。
次は、英連邦戦没者墓地にも行きました。ここは広大な丘に整然と墓碑が並び、
聖地のように手入れされていて、吹き抜ける風が南国です。
ここでも丘の上には、まだ若い「木たろう」の仲間が静かに日陰を作っていました。
「木たろう、仲間の職務全う姿」
FinePix S1Pro Tokina17mm f6.3 s1/166
(クリックで拡大、1200×800)
憩いを作って来た彼らは、大きく成りすぎた所で職務を全うします。合掌。
この木たろうの仲間は、根が張りすぎて、お坊さんの墓石を傾けて仕舞いました。
また先日の大地震で、それが遂に倒壊。まだ修復されていないようです。
初めて来た時は、まだ伐採直後のようでしたが、もうこの様に根が風化し始めて
来ました。こんな風化根が霊園の彼方此方に有ります。
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木たろう達が、もし神社に聳えていたならば、ご神木として敬われ天寿を全う
していたでしょう。
でもそれが幸せかと言うと、私には分かりません。職務を全うする姿が美しい
かと言えば、それも分かりません。
そんな難問に答えを求めて、三つ目のお楽しみにも会いにゆきます。
彼らには、我々と同じく移動する自由が有りますが、さて御意見は。。。
「木たろう、名脇役の墓猫」
FinePix S1Pro Tokina17mm f7.3 s1/215
(クリックで拡大、1200×800)
(フォト:4)この霊園で一番毛並みの良い墓猫です。愛想の良い彼は、食べる
事には苦労しないのでしょう。丁度お彼岸の時だったので、実入りが良かったのか
私には、何もオネダリせず、一頻り遊んだ後にモデルになって貰いました。
ワイドレンズの前で、ポーズをとる彼ですが、時々とても遠い目をして、世の
無常を嘆きます。彼らもまた、この墓地で色々なものを見てきたのでしょうか。
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撮影記:
人の幸せとは何でしょう。少なくとも私は自分の思うとおりに生きて来たので
幸せです。
金銭的な財産は、何も生み出していませんが、何とか善人に助けられ生きて来れ
ました。
たとえこの先で野垂れ死にしても、今まで色々と迷惑を掛けて来たので天命と
したいと思います。
心残りが有るとすれば、「私の職務を全うしようとしているか」です。
全うするかは運ですが、しようとしているかは、自分だけの話です。
また、木たろう達に教えを請いに行きたいと思います。
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