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2011年11月27日日曜日

新宿デビュー日記。

エッセイ 第8話

『おまわりさん!!』
私は、必死で交番に駆け込みました。

『どうした!何があった!!』
でも、とてもその説明に困りました。

『いや。。。その。。。何も。。。』
そして、慌てて走り出しました。


田舎者です。本当に。。。

東京にに生まれ育ちましたが、町から殆ど出た事が有りませんでした。
幼稚園・小学校・中学・高校と、みな徒歩数分のご近所通学でした。

中学までの遊び場は、近所の植物園。親に連れられて行くのは、上野・
銀座のデパートくらい。それも近所のママ友達の付き合いのついでで、
母親のお供です。

高校でやっと池袋や銀座などの名画座やカメラメーカーなどのサービス
センター巡りを友達とする位でした。

それは、映画の二本立てや三本立てを梯子したり、オールナイト上映に
毎週行ったり、買えもしない、Leica-M4・SL-2を神田のシュミットで愛で
たり、NikonやCanonの特殊魚眼・超望遠などをSCの人と仲良くなって
触らせてもらったりしながら、カタログ収集に勤しんでおりました。

そして駿河台のアテネ・フランセ文化センターや、京橋のフィルムセンター
の映写会が一番の楽しみでした。

一人の時は、上野の科学博物館に通い、飽きもせず動物の剥製や化石を
見て回りました。

新宿に初めて行ったのは、ATGの映画を見に行った時でしたが、街はまるで
魑魅魍魎の棲家のようで、とても人界のようではないなと思いました。

二幸食品店前(今のアルタ前)の駅前では、昼からシンナーの袋を吸う亡者
達が集い、みな虚ろな目をしていました。

ヨドバシカメラは、今は西口を代表する販売店ですが、当時は、問屋風の
路地裏の小さな商店でしかありませんでした。

その奥には、夕日に輝き荒野に突き刺さった「モノリス」のような京王プラザが、
一人寂しくそびえていました。





 「花を撮り始める」
FinePix S1Pro Tokina28-70mm (70mm) f5.6 s1/99
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:1)花を撮る。私には無かった世界でした。たまたま花を専門に
撮りたいと言う女性に会い、その作品を見せて貰ったのですが、何か艶が
足りないなと思い、私ならどう撮るかなと試したのが始まりでした。

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まさかその私が、後にその新宿近辺の大学に通うとは思ってもいませんでした。

初めての電車通学。当時は埼京線など無く、池袋~新宿間は、阿鼻供覧・
地獄絵図の車内。戦地の難民列車のような混雑でした。

一度など、池袋から両手いっぱいの画材を持った女子大生が、列の先頭に
立っていた為、乗車しようとする乗客に車内に押し込まれ、ヨロケて倒れそうに
なり、それを私が助けて受け止めた為に、新宿まで二人で熱く?抱擁したまま
微動だに出来ず、永遠とも感じられた新宿までの長旅をした事も有りました。

抱き合う直前に、スローモーションで見つめ合ってしまったお互いの目は、
私も彼女も忘れられない悲壮感溢れる光景として、今も二人の心に焼き付いて
居ると思います。





 「月下でも撮る」
FinePix S1Pro Tokina20-35mm (35mm)  f4.5 s1/16
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:2)花の艶。昼夜問わず色々撮って見ました。月下に浮かぶ椿の
花には、現代人が無くした色気が有ると思いました。今の男女は、生理的に
中性化し過ぎてますからね。

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今まで地元の人間ばかりで学生生活を過ごして来た私にとって、殆ど地方
出身者ばかりの大学生活は、毎日が異文化との出会いでした。

そんな大学生活で初めての「新たな目覚め」を突然体験するとは。。。
とてもビックリ!でした。

最初は、そんな地方の方々に馴染めず、昼食はボッチでレストランでピラフ。
そこのマスターには何故か色々優しくして貰いました。
何でだろう。。。??その時は分かりませんでした。

そのうちに段々とクラスメートと近所の中華料理屋にも行けるようになって
その事実を知る事になりました。

『野菜炒め定食!』と私が言うと、店員達が皆一斉に言いました。
『エッッッッ、男の子なの?????』

当時は、みな長髪でTシャツを着て、「ベルボトムのジーンズ」を穿き、
好き者は「ロンドンブーツ」や下駄で決め、「井上陽水」か「沢渡朔」
モドキの姿でした。

でも、女の子に思われていたなんて。。。微塵も考えていませんでした。
高校は、男子校だったので、自分の容姿に気を使ってませんでした。

どおりで満員電車で痴漢に遭うわけだヮーーーーーーーーーー!!
考えて見れば、身長160cm台・体重48kgで撫肩・赤毛な私でした。






 「花は多彩ですね」
FinePix S1Pro Tokina28-70mm (70mm) f5.6 s1/70
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:3)多くの被子植物は、おしべ・めしべを花の中に持っています。
雌雄同株などでなければ、明確な男女の区別は有りません。では哺乳類は??
人間には男と女と居ますが、男の娘はどっち???

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新たな自分を発見した私は、大学の帰りに新宿駅西口の地下ロータリーを
歩いていました。

そこでまた、自分の新たな別の一面を知る事になるのでした。

その時に突然サラリーマン風のおじさんに尋ねられました。
『二万円で、どっ、どうかな??』と。。。

当時の新卒の初任給が、九万円台の時代。二万円は大金です。
最初その言葉の意味するところが、まったく理解出来ませんでした。

すると唐突にそんな二人の間に割り込んで来た、別のおじさんが叫びました。
『この子は、俺が先に見つけたんだ!!』二人のおじさん達は何故か突然
掴み合いを始めました。

通行人達は、遠巻きで三人を取り囲みます。やっと事態が理解出来た私は、
「新宿駅西口交番」へと逃げ込みました。

交番で事の説明に行き詰まった私は、逃げるように地下街を走って行きました。
そこから新宿ステーションビルの中をジグザグに走り、やっとおじさん達から
逃げ切った私は、『ハテ、自分は何から逃げているのか??』と思いました。

やはり新宿には自分の想像すらしなかった世界が繰り広げられているのでした。
私に金額が付き、またプレミアムも付けられているとは。。。

でも落ち着いてくると、『二万円は大金だぞ。おじさん達を競い合わせたら
三万円かも知れなかったぞ。』とか『お前の貞操は、そんなに高額なのか??』
などの悪魔の囁きも頭の中をグルグルしました。

そうです。私も既に新宿人間に成りつつあったのでした。







「では艶とは」
FinePix S1Pro Tokina28-70mm (62mm)  f5.7 s1/108
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:4)今年も山茶花と椿の季節が始まりました。別の花も
撮っては見ましたが、椿ほど好き嫌いの多い花も珍しいので
撮りがいがあります。果たして艶は表現されているでしょうか??


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新宿に慣れてくると、西口のとあるビルの地下に有る、定期売り場の隣のトイレ
など、その世界の人達が、お互いに出会いや値踏みをする場所も分かって
来ました。

なるべくそんな世界には近づかないようにしていましたが、私の好きな池袋の
地下に有る名画座の二階席もその様な場所である事を思い知らされました。

私の太股を触りながら笑い掛けてくる、花柄の傘を持った重役風のおじさん
から逃げ回って、やはり私はその世界の人達に好かれている事を学びました。

そんな自分が嫌で、私は夏休みに大型二輪の免許を取りました。
Kawasakiの750をころがす内に、肩にも筋肉が着き、少しは男らしくなって
来ました。

でも相変わらずの長髪をヘルメットからなびかせ走り、信号で止まって
驚きました。私の後ろには、ストーカーのように男の子達のバイクが
一列に連なっていました。

時代は、まだ女性ライダーが天然記念物のような存在。
男の娘ライダーでも、大人気なのでした。



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撮影記:

結局、花の艶より自身のあぶない世界の話になってしまいました。
でも新宿は、馴染めば居心地の良いパラダイスです。

東口の「アカシア」の380円のロールキャベツランチを週二で昼に
食べ、授業が終われば西口の「バガボンド」で焼酎を呑み、東口の
「桂花ラーメン」で締めで食べて、終電で帰る学生生活は、まるで
ルーティン・ワークでした。

最近、支店の店長である「アカシア」の御曹司に偶然会い、思わず
学生時代にお世話になったお礼を時空を超えてしてしまいました。
彼はまだ生まれていなかったかも知れないのに。。。

当時一軒しか無かった「桂花」も普通の店になり、また「バガボンド」が
まだ営業している事実に驚愕もしました。

お陰さまで、男のピュアな世界には行かずに済んだ私ですが、相変わらず
外国旅行では、「マダム!」と声を掛けられ、相手を失望させております。
「美人???」って罪ですね。。。









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2011年11月23日水曜日

昇竜雲と母雲。

エッセイ 第7話

『あのヘソ曲がりは、絶対にうちの母親だな。。。』
私は、標高2000mの峠で呟きました。


私は、40代前半で母親の介護生活に入りました。
まだ早い感じがしますが、末っ子の私ですからお年頃です。

40前後で子供を産むと、こんな年齢関係になります。
早く産んだ子供では、老老介護になりかねませんので、体力的にはこの方が良い
ですが、働き盛りの時なので仕事との両立は無理だと思います。

私は仕事を辞める事にしました。再度同レベルの社会復帰は難しいでしょうが。。。
親としても子にしても時を選べない宿命です。

本当は、姉に介護して貰いたかった母ですが、やはり働き盛りで私より責任が
重い仕事で多忙な姉には、選択の余地はありません。

余命の見えた介護でしたが、病院での付き添い・その後の自宅介護と家事など、
やはり心身ともに重労働でした。

やがて私は「介護うつ」になりました。





 「初秋の冷風」
FinePix S1Pro Tokina100mm  f3.9 s1/362
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:1)日々寒くなり、木々を抜ける風も冷たく感じますね。
今はまだ緑の葉も、直ぐに色付いて来そうな寒さです。
来週には黄金色になるのでしょうか。これからが私の好きな季節です。

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その母を春先に亡くし、法事に追われ、整理に追われ、やっと心身が落ち
着いて来て、先々の事を考えられるようになったのは初秋の頃でした。

そんな自分の慰労?も兼ね、社会復帰行事として取材旅行先に選んだのは、
行き慣れた欧州アルプスの晩秋でした。

それは、浦島太郎状態で社会との関わりを無くした私にとって、今後の人生・
仕事を考える旅でもありました。

過去、欧州に春・冬・夏と取材に行って思ったのは、晩秋がこの時の私には
一番似あっているという事です。人生の落日に向き合った後でしたから。。。







 「実りの彩、トキワサンザシ(ピラカンサ or ピラカンサス)」

FinePix S1Pro Tokina100mm  f3.0 s1/362
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:2)人は、食べられない(青酸毒)ですが、その彩りには誘われます。
フィルムでは白飛びしそうな露出ですが、このデジタルは踏ん張ってますね。
背景の濃緑も深い色合いですが、これはレンズの描写が濃厚なせいです。
古いレンズですが良い玉に出会えました。

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欧州アルプスは、日本より緯度が高いので、晩秋と言うより初冬の寒さです。
空港で車を借りた私は、一路行き慣れたアルプスの峠道へと向かいました。

この年は、例年より初雪が遅く、まだ一回しか降雪がないとの事でした。
それでも早くしないとアルプスの峠道は、皆直ぐに通行止めになってしまいます。

車窓から見える薄く初雪が積もった山々は、麓には緑が残っていますが、中腹は
スッカリ紅葉していて三色の彩りを見せていました。

もう観光客には、殆ど会う事も無く、スキーシーズンまでの間の閑散期は、誠に
ドライブ日和です。でも観光登山鉄道も終了間近、宿探しも大変です。






 「輪そして和」
FinePix S1Pro Tokina100mm  f2.8 s1/256
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:3)緑・黄・紅・青、彩り多彩な秋色です。
踊る輪達がやがて和になる、素敵なハーモニーでした。

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高原の定宿に泊まり、翌日の早朝から峠めぐりを始めた私は、先ずは手近な
峠に向かいました。

2000m級のこの峠には、残雪こそ無いものの凍てつく空気が攻撃的です。
森林限界近くのこの場所は、雲が手に届きそうに見える撮影ポイントです。

針葉樹の林にはまだ朝靄が残り、白い煮こごりのようなお姿をしていて、
空には白い綿雲が低く広がり、その峠でせめぎ合っていました。

そのうちに雲間から白い腕のような雲が林に向かって滴り落ちて来ました。
それに応じるように林の靄達が吸い寄せられるように集まって盛り上がって
来ます。

それはやがて昇竜のように天に向かって太くそびえ立って行きました。
天に昇った龍は、雲間の腕に摑まれ滝の逆流のように靄達をどんどん雲に
取り込んで行くのでした。

なるほど雲と靄とは兄弟なのだなと納得の競演です。まもなく靄達は、他の
綿雲達と共にユックリと流れて行きます。その姿は合流した羊の大群の
ようです。

そんな中、それより低層を真逆に流れる雲が行きます。朝日を浴びて紅く
染まるその雲は、唯我独尊と言わんばかりです。

その姿は、死んだ母親そのもののような気がしました。

『なんだ、人は死んだら雲に成るのか。。。』

何の根拠の無いその思い付きの自分の言葉に、妙に納得した瞬間でした。

先程の昇竜のように、人の魂は天に招かれ、召されて行くのかも知れません。

そう思うと何か死を迎える事が辛い事に思えなくなりました。
空を流れる綿雲が皆亡き人の集いにも見え、とても清々しい気分です。

千の風も良いですが、空を巡る雲も良いなと思いました。新たな悟りです。
ところであなたは、どんな雲になりたいですか。。。







「午後の仙人」
FinePix S1Pro Tokina100mm  f5.7 s1/362
(クリックで拡大、1200×800)

(フォト:4)植物園の仙人さまは、いつもココにおいでになります。
兄弟の黒猫で、相方はいつもこのテーブルの下にいます。
そのお姿があまりに素敵なので、ウチのトレードマークにさせて頂き
ました。普段は愛想のいい仙人ですが、時々野生の顔を見せます。
そんな顔がなんか、凛!!としてますよね。

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撮影記:

三週間のあいだアルプスをさ迷った私は、湖畔のホテルに帰国まで二週間
滞在しました。宿探しにも疲れたからです。

フランスから働きに来ていたホテルの若い女性や、街のレストランの台湾の
若者など馴染みも出来て、再出発の心の整理がつきました。

あれから欧州には行く機会が無くアジアばかり行っていますが、またあの
峠に行き、天界と人界の狭間の駆け引きを見たく思っています。

きっと色々な亡き人達や愛犬愛猫達にも会えるような気がしますので。。。








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